
コービーきたぁ、、、



正直、自分は76ers好きだったんで、現役時代のコービーは好きじゃなかった。
でも、今は尊敬しかない、、、涙
バスケットボール界に永遠に輝く星、コービー・ブライアント。「伝説」として語り継がれ、マンバ・メンタリティは世界中のアスリートを鼓舞し続けています。2020年の悲劇的な事故でこの世を去った後も、彼の情熱と努力は色褪せません。本記事では、コービー 81得点の衝撃をはじめとするキャリアを振り返り、不滅のレジェンドを讃えます。
- 本記事の筆者


「ブラックマンバ」の異名と努力の象徴
コービー・ブライアントは、ただの天才ではありませんでした。彼は「ブラックマンバ」――殺傷能力の高い毒蛇に例えた異名を自ら名乗り、試合中の冷徹な集中力を体現。ロサンゼルス・レイカーズ一筋20年、5度のNBA優勝(2000、2001、2002、2009、2010)を達成し、MVP1回、ファイナルMVP2回、オールスター18回選出という輝かしい実績を残しました。


しかし、彼の真価は数字以上の努力にあります。朝4時のジム通い、怪我を押しての練習――ストイックさは「マンバ・メンタリティ」として哲学化され、2020年1月26日のヘリコプター事故で娘ジジちゃんら9人と共に逝去した後も、世界中で悼まれ続けています。コービーは努力の象徴として、今も私たちに「限界を超えろ」と語りかけているのです。
キャリアハイライト:不滅の記録を刻む
コービーのキャリアは、伝説の連続でした。まず、5度のNBA優勝。シャキール・オニールとの黄金時代(2000-2002の3連覇)と、ポー・ガソルとの後期王朝(2009-2010の連覇)で、レイカーズを頂点に導きました。



この時期は憎くて仕方なかった、、、
そんなCMがあったはず



どのチームからも嫌われる選手、、、偉大じゃ
個人記録では、2006年1月22日のトロント・ラプターズ戦での1試合81得点が頂点。ウィルト・チェンバレンの100得点に次ぐNBA史上2位のスコアで、第4クォーターだけで28得点を叩き出し、逆転勝利を演出しました。
そして、2016年4月13日の引退試合。ユタ・ジャズ戦で60得点を記録し、有終の美を飾りました。20年間の集大成として、ファンを感動の渦に巻き込んだのです。これらのハイライトは、コービー・ブライアント 伝説の核心です。
伝説のエピソード:不屈の精神が光る瞬間
コービーのエピソードは、単なる記録以上のドラマがあります。2006年の81得点試合では、前半で26得点しか取れなかったものの、後半に爆発。3ポイント8本を含む驚異的なシュート精度で、歴史を変えました。



81点なんてやらせみたいに思ってる人もいるんじゃない?
動画見てみて。
ガチのガチで81点取ってるから、、、。
鬼神のごときってまさにこのことだと思う。



ずっと笑顔なんて見せないのじゃ
ゾッとするぞよ



やはり現代NBAとは違う、なんていうかパッションがある
(若かりしボッシュいたな)
もう一つの象徴は、2013年4月12日のゴールデンステート・ウォリアーズ戦。アキレス腱を断裂する重傷を負いながら、痛みを堪えてフリースロー2本を成功させ、コートを去りました。この不屈の精神こそ、マンバ・メンタリティの真髄。コービーは「痛みは一時的、栄光は永遠」と体現したのです。
コービー・ブライアント
「もし誰かに賭けるなら、自分自身に賭けろ。」
文化的影響:「マンバ・メンタリティ」の遺産
コービーの影響はコートを超えています。マンバ・メンタリティ――「失敗を恐れず、努力を重ね、頂点を目指す」哲学は、書籍『The Mamba Mentality: How I Play』で体系化され、アスリートやビジネスパーソンに広まりました。
名言「もし誰かに賭けるなら、自分自身に賭けろ」は、自己信頼の象徴。若手選手では、カイリー・アービングやデビン・ブッカーらがコービーを師と仰ぎ、NBAのスタイルを変革。映画『Dear Basketball』でアカデミー賞受賞、グラミー賞受賞のナイキCMなど、文化的アイコンとしても不滅です。
まとめ:情熱の炎は永遠に
コービー・ブライアントの人生は、努力と情熱の賛歌でした。ブラックマンバの精神は、私たちに「限界は自分で決めるもの」と教えてくれます。彼の伝説は、バスケットボール史に永遠に刻まれています。
次回は3P革命の立役者、ステフィン・カリーをお届け! お楽しみに。
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